ななめが愛を叫ぶブログ

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私の脳内の安室透がグッズへの散財を止めてくれる話

【目次】

 

コラボグッズの魔力

 世の中には多種多様なコラボグッズがあふれている。品切れが相次いだ某伝説的歌姫のアイシャドウもそうだし、アニメのキャラクターをイメージした靴や鞄や眼鏡なんてものも、少なくとも広告レベルではよく見かけるようになった。持っているだけ、身に着けているだけで、なかなか近付けないどころか生きる次元さえ違ったりする憧れのあの人・あのキャラを身近に感じられる。一体化できる。コラボグッズというのは、そんな夢の商品たちなのだ。

脳内に住み着く「推し」

 ところで私はオタクである。中学生の頃、当時で既に十年ばかり昔の作品であった『ふしぎ遊戯』の朱雀・青龍編を読んでしまってから今に至るまで、主に二次元という目くるめく沼地を歩んできた。

沼地には魔物が棲んでいる。「こっちの水は甘いぞ」「こっちの水も甘いぞ」と、各作品やジャンルの魅力をちらつかせて、通りがかった者を沼に引きずり込む。十代の頃は『ふしぎ遊戯』や『家庭教師ヒットマンReborn!』、最近は刀剣乱舞や『名探偵コナン』と、私は蛍よろしくふらふらと色々な沼に立ち寄っては引きずり込まれていった。大変に幸せな年月であった。

 長年オタクをやっていると、脳内に複数の「推し」が住み着くようになる。「何を言っているんだ」と思われそうだが、これはつまりこういうことだ。とある作品を読んでいて(あるいは視聴していて)、とあるキャラクターに到底言葉では言い表せないほどの魅力を感じるようになったとしよう。そうすると、当然の帰結としてそのキャラクター、すなわち「推し」が頭から離れなくなる。寝ても覚めても彼/彼女のことを考えている。実に幸福。完全に幸福。アドレナリンだかオキシトシンだかも、きっとどばどば分泌されているに違いない。

 あの子のことならなんでも知りたい。

 そんな純粋な情熱に突き動かされて、「あの子」の登場シーンを舐めるように読み、見返す。主命とあらば有料の動画配信サービスも契約しましょう。インターネットで検索し倒し、設定集やガイドブック等が公式から出ていれば狂喜乱舞し隅々まで読みつくす。あらゆる手段を使って相手の情報を得て頭に刻み込む。

 そうこうしているうちに、住み着くのだ。「推し」が、頭の中に。

 一度私の脳内に住み着いた「推し」は、私の思考や行動に対して返事をしてくれるようになる。正確には、まず私が「こういうとき、『推し』ならどう言うかな」などと妄想し、私の妄想の中で「推し」が何かを言うのである。つまるところ、「『推し』が脳内に住み着く」というのは、おそらく「『推し』への理解と思いが深まりすぎて『推し』の言動をスムーズに妄想できるようになる」ことなのだが、そう言ってしまってはあまりにも身もふたもない。人生にも妄想にも情緒が大切だ。

 さて、現在私の脳内に住み着いている「推し」は三人いる。そのうちの二人、いや、二振りは刀剣男士で、へし切長谷部と燭台切光忠である。彼らは私が就職活動で苦しんでいる頃から寄り添ってくれている。仕事で理不尽なことを言われたときには、長谷部が「何をいたしましょうか。社屋の焼き討ち? 彼奴らの手討ち? ご随意にどうぞ」とオーバーキルで完全にアウトな提案をしてくれるので少し元気が出るし、休日にいつまでもだらしない格好でごろごろしていると、光忠が「いつまでもそんな格好してちゃダメだよ。かっこよく決めたいよね!」と叱ってくれるので、最低限人間らしい姿を保っていられるようになった。二振り様様だ。

 三人目の「推し」は、今年になって住み着いた新人――社会現象を巻き起こし、興行収入百億の男となった『名探偵コナン』の登場人物・安室透である。

三人目の「推し」 安室透

 安室透。私立探偵・黒の組織公安警察の三つの顔を使い分けるトリプルフェイスの男。二重スパイめいたミステリアスな立ち位置、可愛い顔とそれに似合わぬ常人離れした生命力が魅力の二十九歳。私の脳内にいる他の推しに比べれば圧倒的に若いが、『名探偵コナン』の世界では大人のお兄さん枠に入り、年上の部下もいる国家公務員だ。

 私が「安室の女」になったのは、今年(2018年)公開の映画「ゼロの執行人」がきっかけだった。小学生の頃以来、おおよそ十五年ぶりにコナンを見よう、それも映画を映画館で見ようという気になったのは、映画公開後Twitterにあふれた「安室の女」の皆さんのつぶやきやイラストのためである。Twitterは現代で最も危険な沼地なのだ。

 映画館で「ゼロの執行人」を見た私は、久々に触れた少年漫画および子供向けアニメの文法に戸惑い、放送開始当時は少年探偵団の皆より私の方が年下だったのに、今や少年探偵団と同年代の子どもがいても理論上おかしくない年齢になっている現実に打ちのめされながらも、ずぶずぶと安室透の魅力にはまっていった。その頃、ちょうどHuluで映画の公開と合わせて「安室透特集」と題した特集と過去のコナン映画の配信を行っていたため、うっかり手を滑らせてHuluを契約してしまったのだが、Huluに背中を優しく、しかし万力込めて押される格好で、私は「沼」への坂道を転がり落ちていった。

 安室透が赤井秀一と観覧車のてっぺんで殴り合うなどする映画「純黒の悪夢」(2016年)を見て、安室透の存外青くさい一面に胸がときめいた。己はメインターゲットであろう子供たちの年齢のダブルスコアどころかトリプルスコアくらいの年齢ではないかと危惧しながら「科学捜査展」にも行ったし、当然のように「ゼロの執行人」の4DX上映にも行った。最高だった。もちろん豪華版のBlu-rayも、シークレットアーカイブスも買った。封入特典が素晴らしかった。安室透が絡めばフットワークは普段の三倍速になり、財布の紐はどんなゆるキャラもびっくりの緩さになる。それがここ半年強の私であった。

 このようにして、安室透は「推し」として私の脳内に根を下ろした。私の脳内の安室透は、早く寝なくてはと思いながらもベッドの中でぼんやりネットサーフィンをしている私を、「ブルーライトは就寝前にはもってのほか」と叱ってくれたりする。多忙を極める独身男性にもかかわらず、生活に関して几帳面な性格である安室透は、脳内に住んでくれると身辺が整うタイプの有難い「推し」である。

せめぎあう妄想力と物欲

 話を戻せば、『名探偵コナン』は非常に人気のある作品なので、各種コラボグッズも盛んに販売されている。人気キャラクターである安室透のグッズも多彩で、ちょっと検索すればキーホルダーといった定番のものからシャンプーまでよりどりみどり。安室透に対して財布の紐がゆるみっぱなしの私であるから、グッズに対してもさぞや散財したと思われるだろう。それが、案外そうでもないのだ。

 ほしいグッズはたくさんある、しかし買えない。それは何故か? その理由は、私の脳内の安室透である。

 安室透イメージ香水という商品があった。見えない安室透をひそやかに身にまとい、安室透を嗅覚でもって感じることができる魅惑の商品だ。容器も凝っていて、影がありつつも爽やかな彼にぴったりだった。これはほしい、どうしようかな、と思ったそのときだ。

「他人の印象に残るような香りをまとっては、潜入捜査官は務まりませんよ」

 脳内の安室透が、にこやかに言った。

 私は途端に冷静になった。そういえば、今月は会社の飲み会が多くてそれなりに出費がかさんでいる。使い切っていない香水もまだある。だから、今はやめておこう。――ちなみに私は潜入捜査官ではなく、一般企業に勤めるしがないOLである。

 私の脳内の安室透は、安室透グッズに私が心を奪われて散財しそうになる度、的確なツッコミを入れてきた。

「ホォー……それをお客様の前でも使うつもりですか」

「それを日常的に使うということは、自分の趣味……すなわち弱点を周囲にさらすということ。それでよく公安が務まるな」

 私は元来、割とケチだ。毎月一定額貯金しないと落ち着かないし、ほしいものがあっても、月の予算をオーバーしそうなら大体は購入を踏みとどまる。そして、脳内の安室透はあくまで私の妄想の産物。つまり、脳内の安室透による水を差すような発言は全て、「ケチな私が自分にストップをかけている」だけのこと。安室透は何も悪くないし、グッズはどれも本当に魅力的だった。全ては自分がケチなせい。それは分かっている。分かってはいるのだ。

 しかし、脳内の安室透の正体がケチな自分自身であったとしても、物欲を嗜める思考が安室透の声で脳内再生されると抗えない。ストレートに自分で自分に「これは無駄遣いだからやめておこう」と言い聞かせれば「無駄遣いじゃない!」と購入を強行採決できたりするのだが、安室透や降谷零やバーボンの姿と声と口調でもって止められると、素直に引き下がってしまう。己の妄想力に己の物欲が負ける、自分でもよくわからない展開が繰り返された。

 そんなこんなで、幸か不幸かあまり散財できていない気がする。買ったのは、Blu-rayと漫画の単行本、『ゼロの日常』、『シークレットアーカイブス』、『シークレットアーカイブスPLUS』、映画のパンフレットやクリアファイル各種にキーホルダーとマステと……あとは作中で出てきたウィスキーや、安室君のつけてたのに似た色のスヌードも……

 散財せずに済んでいるというのは気のせいかも知れないが、私の脳内の安室透が散財を嗜めてくれることもあるのは本当だ。