ななめが愛を叫ぶブログ

オタクが好きなものについて愛を叫ぶブログです。

私の脳内の安室透がグッズへの散財を止めてくれる話

【目次】

  • コラボグッズの魔力
  • 脳内に住み着く「推し」
  • 三人目の「推し」 安室透
  • せめぎあう妄想力と物欲

 

コラボグッズの魔力

 世の中には多種多様なコラボグッズがあふれている。品切れが相次いだ某伝説的歌姫のアイシャドウもそうだし、アニメのキャラクターをイメージした靴や鞄や眼鏡なんてものも、少なくとも広告レベルではよく見かけるようになった。持っているだけ、身に着けているだけで、なかなか近付けないどころか生きる次元さえ違ったりする憧れのあの人・あのキャラを身近に感じられる。一体化できる。コラボグッズというのは、そんな夢の商品たちなのだ。

脳内に住み着く「推し」

 ところで私はオタクである。中学生の頃、当時で既に十年ばかり昔の作品であった『ふしぎ遊戯』の朱雀・青龍編を読んでしまってから今に至るまで、主に二次元という目くるめく沼地を歩んできた。

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大好きな地下セクシーアイドル「ベッド・イン」が The New York Timesに取り上げられたので全文和訳した

 目次

  • 1.ニューヨークタイムズにベッド・インが取り上げられた夜のこと
  • 2.New York Times "Bright Lights, Big Shoulder Pads : A Timid Japan Recalls Its Bubble Era"の和訳
    • まばゆい光、大きな肩パッド:自信を失った日本はバブルの時代を思い返す
  • 3.この記事について思うこと

1.ニューヨークタイムズにベッド・インが取り上げられた夜のこと

 昨晩、ベッド・イン事務局(@1919bed)さんがこんなツイートを発射した。

  私が今推しに推している地下セクシーアイドル「ベッド・イン」。この、バブル時代をフィーチャーした出で立ちと、スレスレな下ネタ・バブルネタを隙あらば挿入してくるトーク、そしてロックで培った歌唱力が悪魔合体したゲロマブなお二人が、The New York Timesに取り上げられたというのである。

www.nytimes.com

 ほんまや。

 しがない性徒諸君(ベッド・インのファンの総称)であるところの私は興奮した。もうやまだかつてないほど心が沸き立った。関西人でもないのに関西弁が出るくらいだ。そして、気付いたときにはこの記事を全部和訳してTwitterにアップしていた。

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『月に吠えらんねえ』への愛を吠えたい(1)

 図書館だろうか。金属製の頑丈そうな書架に並んだ『萩原朔太郎全集』の背表紙から妖精サイズのキャラクターがぴょこりと顔を出し、書架の間の通路を駆けて行く――。

 清家雪子の漫画『月に吠えらんねえ』は、こんな風に始まる。ひとたびこの本を開いてしまった私たちは、この妖精さん(のようにデフォルメされた主人公)に連れられて、妄想空想幻覚等々の渦巻く怒涛の近代文学ファンタジーの世界に飲み込まれるしかない。

 近代文学ファンタジーという字面を見て、「ああ、最近流行している系のやつか」と思う向きもあるかもしれない。確かに、『月に吠えらんねえ』で名前が出てくる登場人物は、概ね日本の近代文学に取材している。

 だが、「月吠」では、文豪が探偵社に所属して異能で敵と戦ったりはしないし、特殊能力を持った司書になって本を守ったりもしない。アクションシーンもないではないが、定型か自由律かをかけて虚子と碧梧桐が俳句で殴り合うとか、夢の中で日中戦争当時の大陸に行って控えめなメタルギアソリッド状態になるとか、まあそれくらいだ。

月に吠えらんねえ』の世界では、詩人たちが創作活動に勤しみ、ままならない自分や他人との付き合い方に悩みながら、各々欲望を持て余したり酒に溺れたりしている。彼らの日常は(幻覚を見たりする子もいるにしろ)穏やかなもので、「天上松」の木に黒々とした縊死体がかかっても、危機感を覚えることなく見物に出かけたりするほど平和ボケしている。

 そんな詩人たちが暮らすのは、近代市の片隅にある「□街(詩歌句街)」。詩人や歌人俳人だけが暮らすのどかな田舎町である。「文壇の壁」とも呼ばれる険しい山脈を汽車で越えれば都会の小説街へ行くことができ、小説家の友人と会うこともできる。

 カフェや居酒屋といった飲食店もあるし、おまけに生活保護システム完備で「無職の暮らしやすい街ナンバーワン」。□街は結構本気で移住したい住環境がそろっている。天候が主人公・朔くんの感情に左右されることを除けば。

 朔くんは、変り者の多い□街の住人の中でも「飛び抜けてイカレている」。

 大好きな詩の先輩・白さんに毎日山ほど手紙を送りつけ、たったひとりの親友・犀に対する依存度もなかなかのものだ。頭から地面に埋まっては「打ち殺せかし!」と怨念をまき散らし、詩想のために水死体を拾ってきて観察してはそのまま放置する(それを片付けるのは弟子のミヨシくんなのだが、彼もそんな師の奇行には慣れてしまっているようで、その臭気に顔をしかめつつも、「せめて完全に白骨化してから持ってきてくれ」などと言っている)。慢性的な神経衰弱で、しょっちゅう幻覚を見てはそれに怯え、脳病院のアララギ先生の世話になっている。

 朔、白、犀、ミヨシ、アララギ

 それぞれ、萩原朔太郎北原白秋室生犀星三好達治斎藤茂吉の作品から着想を得て作られたキャラクターたちだ。

 ここで大切なのは、あくまで彼らが実在の詩人本人ではなく、作品のイメージに立脚した存在だということ。つまり、朔くんが死体を拾うのも、地面に顔面ダイブしてめり込むのも、萩原朔太郎がそういう行為そのものをしたからではなく、萩原の書いた詩がそういうことをしそうな感じの詩だからだ。

 とはいえ、萩原朔太郎北原白秋にどっさり手紙を送っていたのも、白秋からはあんまり返事が来なかったのも事実なので、詩人本人の人となりやエピソードも反映されているようである。

 キャラクター作りに際しての清家雪子先生の真摯さは物凄くて、キャラクターとして登場している文学者の全集は全て読んでいる(注1)とか。それゆえ各巻の参考文献リストの長さは圧巻で、「論文かな?」というレベル。だから「月吠」のキャラクターたちは、本好き・文学好きにもたまらない言動を見せてくれる。

「月吠」では、詩人たちがごく自然に詩を口にする。地の文にも詩や歌が引用される。その手法は巧みであり、必然性を持って引用されている。詩が借り物としてコマに存在するのではなく、ひとつひとつのシーンに溶け込み、詩以外の台詞や絵とともに、物語を、人物の感情を浮き彫りにする。だが、分かりやすく文学作品が引用されるだけではない。この物語には、他にも更に文学的なあれこれがちりばめられているのだ。

 私が見つけて一番興奮したのは、釈先生(釈迢空折口信夫作品)の登場する雨のシーンで使われている、「した した」という擬音語。元ネタはもちろん、折口信夫の小説『死者の書』だ。『死者の書』の冒頭、死者の目覚めとともに響いた暗い水音は、「月吠」においても不気味なシーンで使われる。こうした小ネタが単なる衒学趣味でないことは、これだけでも充分伝わるだろう。擬音語にまでこだわられちゃあ、このめくるめく文学ファンタジーの世界から逃れることなんてできっこない。

 

 さて、既にこの記事も2000字に迫っているのだけれど、まだまだちっとも語り足りない。というか、本題にすら入っていない。でも、冷静に考えて、オタクの暑苦しい文章をいっぺんに1万文字とか読まされたらたまったもんじゃない。だから、続きは次の記事で書こうと思う。

  次回以降に語りたいことを、自分のためのアウトラインという用途も兼ねて列挙しておく。

  • 文学の戦争責任(『月に吠えらんねえ』のテーマ)
  • 変容する世界と朔くん
  • 創作と創作者の関係
  • 龍くんはかわいい

 次回に続きます。

 

(注1)

月に吠える通信 前橋文学館・萩原朔美館長が禁断の質問!?「月に吠えらんねえ清家雪子先生との対談レポート」(2018年2月15日)

http://magazine.moonbark.net/event/sakumiyukikotalk/